会長声明 2006年06月02日 (金)
教育基本法改正法案に反対する会長声明
1 政府は,本年4月28日,教育基本法改正法案(以下,同法案という)を国会に提出し,同 法案は,同年5月24日衆議院における教育基本法に関する特別委員会において実質審議に入った。政府は,今国会での成立を目指す方針であるとの報道がなされている。当会は,以下の理由により,同法案を今国会で成立させることについて反対である。
2 改正の必要性が明確ではない
現行の教育基本法は(以下,現行法という),教育が軍国主義的国家体制のもとで,戦争のための国民の精神総動員の手段,思想統制の手段として使われた苦い経験を踏まえて1947年(昭和22年)3月に施行された教育における「基本法」である。前文には,「(憲法の)理想の実現は,根本において教育の力にまつべき」「個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成に期する」と規定され準憲法的性格を有すると言われる。よって,そもそも現行法を改正する必要性が存在するのかどうかが吟味されなくてはならない。改正の必要性について,中央教育審議会答申によれば,我が国の教育は現在多くの課題を抱え,危機的な状況に直面しているとして,「青少年が夢や目標をもちにくくなり」「規範意識や道徳心,自立心が低下」「いじめ,不登校,中途退学,学級崩壊」「青少年による凶悪犯罪の増加の懸念」等を上げている。確かに学校現場においては種々の問題を抱えていることは事実であるが,これらの問題が現行法の弊害と言えるのかどうか具体的に全く明らかにされていない。むしろ,当会共催で毎年実施している「子どもの悩み110番」に寄せられる相談を分析すると,偏差値教育に示される過度な競争主義と教育行政による管理統制の強化により,いじめや虐待等の権利侵害に悩む子どもの実態が存在する。これらは,現行法の弊害というよりむしろ,現行法の理念が十分に学校現場で生かされていない結果とも言えるのである。教育は百年の計と言われる重要な問題である。現行法に弊害があり,真に改正が必要であるのかどうかについて,十分な調査,研究,そして国民的議論を要するが,現在の時点で,そのような経緯が全く存在しない。
3 今国会で成立させるのはあまりに拙速である。
教育基本法が準憲法的性格を有する法律にもかかわらず,同法案作成においては,「与党教育基本法に関する協議会」及び2003年(平成15年)6月に設置された「検討会」における約3年にわたる議論が,中間報告以外,全て非公開に進められてきた。この経緯は,手続的にも極めて問題である。教育基本法が今後の教育の在り方を決定する重要な法律であり,しかも,同法案が下記の通り,重大な問題を含むものであることに鑑みれば,各界各層の広範かつ慎重な意見交換と国民的議論が活発になされることが必須である。現時点ではそのような状況にはなっていない。よって,今国会で成立させようとすることはあまりに拙速であって容認できない
4 法案の問題点について
法案には種々の問題点が存在するが,本声明では,明らかに問題と考えられる点を指摘する。
第一 「愛国心」が強要されるおそれがある
改正法案は,「教育の目標」(同法案第2条)を掲げ,そのなかに,「伝統と文化を尊重し,それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度を養うことを含ませている。愛国心については,個々人が持つこと自体は自由であるし,その持ち方についても,持つかどうかについても個人の自由である。つまり愛国心は人間のもつ内心であり,公教育によって上から押しつけるものではない。これを法律で強制する場合には,現行憲法及び現行教育基本法の最も基本的な価値である「個人の尊厳」への介入,「思想良心の自由」(憲法第19条)の侵害となるおそれが強い。なお,「伝統文化の尊重」「我が国と郷土を愛する」など,その定義は不明確であり,国家が一定の価値認識を押しつける危険性が存在すると言わざるを得ない。こうした危険性が杞憂ではないことについては,東京都において,教育委員会の通達に基づき,校長が教員に対し,「日の丸掲揚」「君が代斉唱」時の起立,発声を義務づけ,これに従わない教員を処分するという事態が発生し,本年3月13日には,生徒への起立,斉唱指導を義務づける通達が発せられている状況にあること,さらに,2002年(平成14年)福岡市の小学校6年生の通知票の評価項目に「国を愛する心」の文言が掲げられ,「愛国心」という内心の問題を成績評価を通じて強制しようとした状況にあることを指摘する。
「愛国心」の強要のおそれが存在する改正案には賛成できない。
第二 個人の尊厳の後退が懸念される
現行法前文は,「われらは,個人の尊厳を重んじ,真理と平和を希求する人間の育成を期する」とあるが,同法案は,「真理と正義を希求し,公共の精神を尊び,豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」に変更している。かつ,現行法1条の教育の目的から「個人の価値をたつとび」という文言を削除した。これは,同法案が「平和」を希求する人間の育成を軽視し,時の政府が考える「公共」を優先して,「個人の価値」を軽視するものではないかとの疑念を抱かせるものである。
さらに,法案は,現行法前文が「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない」としていたところを,「伝統を承継し,新しい文化の創造を目指す教育を推進する」とした。これは,時の政府が考える「伝統」を押しつける教育になるのではないかとの疑念を抱かせるものである。
第三 国が教育に不当に介入し統制することを可能とするおそれがある
法案は,「教育行政」に関し,現行法10条1項の「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」との文言を削除して,「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」とし(同法案第16条1項),その上で,国が「教育に関する施策を総合的に策定し,実施」するものとした(同法案16条2項)。さらに,法案は,政府及び地方公共団体に対し,教育振興基本計画の策定を義務づけている(同法案第17条)。
現行法は教育行政の責務を「諸条件の整備」に限定している(同法案10条2項)。これは,先に述べた通り,戦前における軍国主義的教育への反省にたって規定されたものであるが,同法案は,この規定の趣旨を没却し,行政の責務・権限を飛躍的に拡大させており,時の政府及び地方公共団体によって,教育内容が不当に統制される危険が極めて高い。
以上の観点から当会は,同法案を今国会で成立させることに反対する。同法案を廃案にしたうえで,あらためて,現行法案の改正の要否を含めて,各界,各層の意見交換,国民的議論を踏まえた十分かつ慎重な討議を求めるものである。
2006年(平成18年)6月 2日
福井弁護士会
会 長 山 川 均